「生活保護」という言葉に、みなさんどんなイメージをお持ちですか。
 ポジティブかネガティブかと問われれば、ネガティブな印象をお持ちの方が大半ではないでしょうか。なぜでしょう。それは、生活保護に絡んだ話題の多くが「不正受給」、または「打ち切り」「水際作戦」など、生活保護を受けたくても受けられない、そしてその結果、「孤独死」が起きた、などというものばかりで、「生保のおかげで助かった」とか「生保があるから安心」などの話を一切聞かないからではないでしょうか。
 なんでそんなことになってしまっているのか。「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」との憲法条文はどうなってしまったのか。生活保護をめぐる動向から探っていきたいと思います。

26 Jan

  北陸地方、特に富山県は昆布をよく使うことで知られています。

 北前船の寄港地だったことが大きく関係しているとのことです。同じく北前船の終着地点である大阪も実は昆布をよく食材に使います。大阪は何が有名なのかずっと考えていましたが、よくよく思い出すと、私が小さいときはテレビに塩昆布のCMがよく流れていましたし、贈答品にも高級出汁昆布や塩昆布が選ばれていました。支店があちこちにできて今は間口が狭くなりましたが、心斎橋や難波あたりを歩きますと、塩昆布の老舗が立派な看板を出しています。今の旅行ガイドブックにこのようなことは果たして載っているのでしょうか?

 

 前置きが長くなりましたが、今回は、私が非常に衝撃を受けた記事から思ったことを書きたいと思います。

 

 毎日新聞のインターネット版に「介護殺人その後 加害者も心に大ダメージ 社会復帰に壁」という記事が掲載されていました。この中に、私が忘れもしない、2006年京都市伏見区で起きた承諾殺人事件のその後のことが書かれてありました。この事件は、男性と母親の二人世帯で、母親が認知症になり、昼夜を問わず介護が必要となったために男性が仕事を辞めて母親の介護をしていましたが、生活に困窮し、伏見区役所に生活保護申請に行ったものの、「働ける」という理由で申請させてもらえず、どうしようもなくなった末に桂川のほとりで無理心中を図り、母親を殺害してしまったというものです。私が大学院に入学して研究を始めた頃に知った事件で、京都地裁の裁判官が行政の在り方を批判する言葉を述べたこと、判決で執行猶予となったこと、弁護士の先生方がこの男性に会って話を聞きたかったが誰も信じられない心身状況のため会えなかったという話を聞いたことから、今でもその時の衝撃を忘れないまま覚えていました。

 

 新聞記事はこの男性のその後を追っていました。男性は2014年8月に琵琶湖に飛び込んで自殺されたとのことです。所持金は数百円で、母親のへその緒を持っておられたそうです。この記事を読んで、衝撃のあまりしばらく頭が真っ白になりました。

 

 親族の方は「最後まで孤独から抜け出せなかった」と話しておられたようですが、一体誰が孤独に追い込んだのか。見出しに「介護殺人」とあるように、他の事例も交えて介護を切り口に書いている記事です。しかし私は、この事件に関してだけは、孤独に追い込んだ、いや人生を大きく狂わせたのは生活保護申請を拒まれたことが一番の原因だと考えています。この男性は生活保護の担当課に助けを求めていたのです。男性は稼働能力を有しているだけであって、実際の生活状況を聞けばすぐに働けないことは自明のことだと分かったはずです。預金がどうのこうのというのであれば、是非はともかく一括同意書を取っているのだから、申請を受理してから金融機関に照会すればよいのです。認知症を患った母親の生活については他法が使えないか等、申請を受理してから考えればよかったのです。申請の受理=生活保護が必要ではなく、要否判定によって生活保護の要否が決まるのです。適正な手続きを踏まえなければならないのです。それは国民の権利であり、行政の義務でもあるのです。

 

生活保護の申請を受理する、これは生活に困窮する人にとっての最後の命綱をつなぐことであり、申請させないということは、憲法25条で保障されている権利を侵害することであり、最後の命綱を絶ってしまうことなのです。ここで行政とつながることができれば、男性は孤独にはならなかったのです。人生を大きく狂わすようなことも、自分で自分の命を絶つこともなかったのです。

 

 ここまで考えて思うことがあります。私の考えていることは極論かもしれません。法を尊守しなければならない行政側は何の責任も負わなくてよいのでしょうか。生活保護申請を受理されなかったが故に、これまでに余りにも多くの方の命が失われています。ここまで来ると、何らかの処罰が必要なんじゃないかと思ってしまいます。北九州市で起きた男性の餓死事件の際は刑事告訴が行われましたし、柳園訴訟では国家賠償請求を求めて国家賠償を勝ち取りました。誰の責任にもならない、だから同じことが、しかも人の命が失われるような事態が起こってしまうのではないかと思ってしまうのです。

 

参考:「介護殺人その後 加害者も心に大ダメージ 社会復帰に壁」毎日新聞2016年1月5日、2016年1月5日閲覧

http://mainichi.jp/articles/20160105/k00/00m/040/124000c?mode

 

 

元金沢星稜大学非常勤講師 冨家 貴子