「生活保護」という言葉に、みなさんどんなイメージをお持ちですか。
 ポジティブかネガティブかと問われれば、ネガティブな印象をお持ちの方が大半ではないでしょうか。なぜでしょう。それは、生活保護に絡んだ話題の多くが「不正受給」、または「打ち切り」「水際作戦」など、生活保護を受けたくても受けられない、そしてその結果、「孤独死」が起きた、などというものばかりで、「生保のおかげで助かった」とか「生保があるから安心」などの話を一切聞かないからではないでしょうか。
 なんでそんなことになってしまっているのか。「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」との憲法条文はどうなってしまったのか。生活保護をめぐる動向から探っていきたいと思います。

13 Feb

 新年に向けて、正月料理のテレビ放送や料理の話がよく行われます。

 雑煮といえば場所によってさまざまな種類があるといわれていますが、金沢の雑煮の話を聞くと、私の食べてきた雑煮とはまた違います。金沢の雑煮は一言でいうと「シンプル」だそうです。家によって多少違うのでしょうが、一番シンプルなのは、澄まし汁に餅が入っているだけだそうです。しかし、贈り物には手間暇をかけています。冬に贈るものといえば「かぶらずし」だそうです。なれずしの一種で、金沢では蕪の間に鰤を挟んで麹で漬け込んだものです。家庭でも作られており、北陸でも場所や家庭によっては大根を使ったり、鰤ではなく鯖や鰊を使ったりされています。

 

 さて、今回は生活保護基準引き下げに関する学習会に参加したことについて、複数の方が話された中で、司法書士の方が話されたことを以下に少し紹介したいと思います。

 

 2004年から2011年にかけて不況だったとき、借金に関する相談が1日5~10人あったそうです(この頃金利のグレーゾーンが問題として取り上げられた時期でもあります)。債務整理を行いながら、相談者には家計表を数か月記入してもらったそうです。そして、①そもそも貧しい家庭が多い、②賃金が安い、③雇用が不安定、ということが明らかになったそうです。例えば、手取りが20万円前後で家族3~4人を養わなければならないなどです。借金問題は解決できるが、相談者は収入がなければ生活できないので生活保護申請を勧めてきたが、受けられる人が受けられない(役所に相談しても「働ける年齢であり、病気でもない」ということで申請が受理されない)ことが起こり、司法書士会で生活保護の勉強会を始めたということです。

 

 貧困問題を考えるうえで最も重要な視点は何か、と考えたとき、「貧困は社会の構造に根差している」ということが重要な視点だということです。多重債務問題では、多重債務を許すような社会構造が問題で、①利息制限法があるにもかかわらず、要件を満たせば利息制限を超えてよいという法律があった、②闇金融はそもそも犯罪であるにもかかわらず、告発状を警察に持って行っても受け付けてくれない、③借りたものは返すのが当然という自己責任論があった、という社会構造があり、これらが変わったのは、国会で多重債務問題が取り上げられたことだそうです。

 

 この後、様々な運動の成果で生活保護を利用する人々が増えてきましたが、生活保護に関するバッシング(生活保護を受けることを「恥と思わなくなったことが問題」「正直者がバカをみる」などの国会議員の発言)が起こったことについては、生活保護を受けたくないという思いを植え付け、本当に困った時に誰の助けも得られなくなり、非常に無責任な発言であるとのことです。日本の捕捉率(生活保護を利用できる人のうち、実際に利用している人の割合)が世界的にみても低いことの他に、生活が困窮したらまず親子や親せきがみるのが当然という風潮について、道徳の世界を法律に持ち込むと非常に不合理なことが起きる、例えば家庭が貧しく自力で大学まで行き就職できたが、親が生活に困って親の面倒まで見なければならなくなると自力で頑張った子どもは貧困から抜けられない、フランスやスウエーデンでは夫婦間または未成熟の子どもと親にしか扶養義務はない、本来の扶養義務は先進国のようであるべきだということです。

 

 そして、貧困問題の解決はどのような意味があるのかについて、それは成熟した大人の社会であり、国の経済力の土台を強化し、健全な経済社会の発展をもたらすということである、と話されました。

 

 この他にも様々なことを話されておられましたが、お話は私にとって非常に衝撃的でした。最初の多重債務者の家計表を分析した結果というのは、イギリスで100年ほど前に社会調査で明らかになったことそのものだったからです。司法書士の方のお話に合った通り、日本というのは本当の意味で成熟した社会ではなく、健全な経済の発展を成し遂げていないことを改めて考えさせられました。

 

元金沢星稜大学非常勤講師 冨家 貴子