「生活保護」という言葉に、みなさんどんなイメージをお持ちですか。
 ポジティブかネガティブかと問われれば、ネガティブな印象をお持ちの方が大半ではないでしょうか。なぜでしょう。それは、生活保護に絡んだ話題の多くが「不正受給」、または「打ち切り」「水際作戦」など、生活保護を受けたくても受けられない、そしてその結果、「孤独死」が起きた、などというものばかりで、「生保のおかげで助かった」とか「生保があるから安心」などの話を一切聞かないからではないでしょうか。
 なんでそんなことになってしまっているのか。「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」との憲法条文はどうなってしまったのか。生活保護をめぐる動向から探っていきたいと思います。

16 Jan

 ここ金沢は本格的な雪の季節になりました。

石川県といっても雪の降り方は場所によって違います。海の近くは風が強いこともあり、雪があまり積もらないそうです。反対に山沿いは積雪量が多くなります。雪が降って何が困るかといえば、洗濯物を外に干せない、道路が凍ると滑って危ない、雪かき(金沢では「雪すかし」と言います)をしなくてはならない、雪かきのために早起きしなければならない(夜中、寝ている間に雪が降ります)ということです。兼六園の雪つりを施した松に雪が積もると絵になる光景となりますが、実生活はそんなに優雅ではありません。

 

さて今回は、昨年12月に判決が出された、生存権裁判福岡高裁差し戻し控訴審判決(以下、控訴審判決という)について少し触れたいと思います。控訴審判決では、原告敗訴となりました。生存権裁判とは、生活扶助基準の一つであった老齢加算廃止取り消しを求めている訴訟で、福岡県の原告は福岡地裁(原告敗訴)→福岡高裁(原判決棄却(原告勝訴))→最高裁(高裁に差し戻し)→福岡高裁(差し戻し控訴審)という形で裁判を争ってきました。福岡高裁判決(以下、高裁判決という)では、老齢加算について、老齢加算に関して審議をした厚生労働省の「生活保護の在り方に関する専門委員会」(以下、委員会という)での結論が出る前から老齢加算廃止を決定していたなどという事実が厚生労働大臣の裁量権の逸脱にあたるとして、地裁の判決を棄却、原告が勝訴しました。その際の判決の枠組みは、朝日訴訟最高裁判決でした。内容は以下の通りです。

 

「健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴って向上するのはもとより、多数の不確定的要素を綜合考量してはじめて決定できるものである。したがつて、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあつても、直ちに違法の問題を生ずることはない。ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によって与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない。」(原文のまま)

 

控訴審判決の枠組みは堀木訴訟最高裁判決です。内容は以下の通りです。

「最低限度の生活は、抽象的かつ相対的な概念であって、その時々における経済的・社会的条件、一般的な国民生活との相関関係において判断決定されるべきものであり、これを保護基準において具体化するに当たっては、国の財政事情を含めた多方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものである。」

 

 そして、再審判決では一転して、高裁判決が違法であるとした厚生労働大臣の裁量権を「違法でない」と認めています。つまり、委員会のとりまとめをふまえて老齢加算を廃止したもので、その手続き等は適正なものであり、高度な専門技術的考察と政策的判断を行ったうえでの裁量権の行使であり、裁量権の逸脱乱用には当たらないというものです。

法律が専門でないのでこのような考察をすべきかどうかは分かりませんが、高裁判決も踏まえた上で読んでみると、この控訴審判決は、委員会で本来決定されて厚生労働大臣に諮問すべきものを、委員会の決定なしに厚生労働大臣の判断で決定しても、それが合目的的なものなら認められる、今回は老齢加算を厚生労働大臣の判断で決定してもそれが合目的的なものなら違法とならないとの解釈であるとも捉えられます。

  仮にこのような解釈だと、厚生労働大臣の諮問機関である各委員会の存在理由は何なのか、ということが問われることになりますし、厚生労働大臣の裁量権は一体どこまで広いものになるのか、どこまでが合目的的なのかということも問われることになります。そうすると、前回書きました生活扶助基準改定も、審議した委員会の判断がどうであろうと、厚生労働大臣が決めたものが合目的的なものなら許されるということになります。

 

 社会保障制度は様々な審議を経て創設され、実施されていますが、それらの議論の内容が問われなくなると、民主主義の根幹にも関わってくるのではないか、という危惧を抱きます。

 

元金沢星稜大学非常勤講師 冨家 貴子