「生活保護」という言葉に、みなさんどんなイメージをお持ちですか。
 ポジティブかネガティブかと問われれば、ネガティブな印象をお持ちの方が大半ではないでしょうか。なぜでしょう。それは、生活保護に絡んだ話題の多くが「不正受給」、または「打ち切り」「水際作戦」など、生活保護を受けたくても受けられない、そしてその結果、「孤独死」が起きた、などというものばかりで、「生保のおかげで助かった」とか「生保があるから安心」などの話を一切聞かないからではないでしょうか。
 なんでそんなことになってしまっているのか。「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」との憲法条文はどうなってしまったのか。生活保護をめぐる動向から探っていきたいと思います。

07 Mar

 金沢市のある職員の方と話をしたときのことを思い出しました。

金沢市は検診に力を入れており、基本健診以外にも、年齢によってですが、癌検診や歯科検診などの検診を安く受けられるように、検診の補助券を毎年各世帯に送付しています。なぜ検診に力を入れるようになったのか、以前紹介しました加賀藩独自の施策に関連しているのかもしれないなと、そのとき思いました。

 

 さて今回は、前回に続き、日本の生活保護基準(正確には生活扶助基準)の算定方式の変遷について、簡単に紹介したいと思います。

 

 前回紹介したマーケット・バスケット方式(以下、マ・バ方式という)は、1960年度まで続きました。その後、1961年度に登場したのがエンゲル方式です。登場した背景には、前回紹介しました、マ・バ方式による生活保護基準が低すぎたことがありました。エンゲル方式を考案・算定した当時、厚生省の生活保護基準係に在籍していた小沼正氏によると、根本を突き詰めると、生活保護基準算定のモデルは非稼働世帯でよいのか、という問題があったとのことです(1)。1959年頃の話だと思いますが、小沼正氏によると、「最低賃金制が確立していないわが国において、最低生活費は、特定の職業階層、とくに端的にはその地域ごとの日雇労働者の賃金を目安として算定するというのも一方法であるというのが結論であった」とのことです(2)。

 

 そこで、エンゲル方式では、①飲食物費の家計に占める割合を実態生計から割り出す、②少なくとも年々の一般国民の消費をよりよく反映する、③この当時の段階においてはその占める割合がかなり多く、しかも基準額を高めうるという利点を持つか動力のある世帯を生活保護基準算定のモデル世帯とする、などして、マ・バ方式の問題点を克服しようとしました。③に関しては、マ・バ方式では非稼働5人世帯(高齢者1人、女性1人、子ども3人から成る世帯)を稼働4人世帯(夫婦とその子ども2人)に変更しました。

 

 計算方法について、人間には多少消費の無駄というものがありますが、マ・バ方式にはそれが全く考慮されていませんでしたので、それを多少考慮しています。例えば、食材については、魚介類・野菜について可食部を100%として計算していたのを、日本食品標準成分表に記載されている品目別廃棄率の1/3を採用するなどです(3)。他にも麦をうどんやパンに置き換えるなどして食費を計算しています(4)。それらを基に、栄養を考慮して飲食物費を計算します。飲食物費が同じでも、世帯の収入によってその他の支出が変わりますので、生活保護モデル世帯と同じ年齢・人員構成で同額の食費を支出している3つの収入階級の世帯の全消費支出額をみてエンゲル係数を算定し、ある計算式に当てはめて最低生活に必要な消費支出額を計算し、そこから住宅・教育・医療など生活扶助費に該当しない消費支出を除外します。説明が長くなりましたが、大体このような過程を経て生活扶助費を算定していました。

 

 しかし、問題点もあります。飲食物費をマ・バ方式で求めており、以前のような恣意的な計算は改善されていますが、以前として恣意的な計算は残っている(標準廃棄率そのものを採用していないなど)ということです。エンゲル方式は飲食物費を基に計算していますので、飲食物費が変わるとその他の衣料費や文化的費用にも影響します。エンゲル方式によって計算された最低生活費でどのような生活を営めるのかについても、計算された時点では明らかにされていません(5)。また、物価変動の激しい時期に、一昨年の家計調査を基に生活保護基準を計算していますので、実態とは非常にかけ離れたものとなってしまったのです。特に物価変動に耐えられず、この方式は1964年度までという短命に終わりました。

 

 結果的に、マ・バ方式と比較すると、生活保護基準は平均18%引き上げられました。しかし、当初厚生省が要求していたのは26%であり、大蔵省との折衝で18%引き上げとなりました。本来なら、最低生活費はもっと高くてもよいというのが厚生省の結論だったのです。

 

 このような計算上・折衝上の問題点がありながらも、生活保護基準が大幅な引き上げとなったのは事実です。その背景には、1960年代に入って日本は高度経済成長期にさしかかり、当時誕生した池田内閣は、「これからは社会保障に重点を置く」と述べたこと、生活保護基準引き上げを可能にする「きっかけ」があったことです。小沼正氏は「きっかけ」についてはっきりと述べていませんが、私は、いわゆる朝日訴訟第一審勝訴判決が1960年10月19日に出されたのが大きな「きっかけ」ではなかったのではないかと思っています。

 

元金沢星稜大学非常勤講師 冨家 貴子

 

(1)小沼正『貧困 その測定と生活保護(第二版)』東京大学出版会、1980年、p50

(2)前掲、p50。この結論に達したのは、おそらく保護課においてだと推測される。

(3)言い換えれば、マ・バ方式のときは、芋類なら皮まで食べる、魚なら頭から尻尾まで骨も残さず食べることを前提に食費が計算されていたことになる。

(4)電灯料も、40ワット1球分を2球にして計算されている。