「生活保護」という言葉に、みなさんどんなイメージをお持ちですか。
 ポジティブかネガティブかと問われれば、ネガティブな印象をお持ちの方が大半ではないでしょうか。なぜでしょう。それは、生活保護に絡んだ話題の多くが「不正受給」、または「打ち切り」「水際作戦」など、生活保護を受けたくても受けられない、そしてその結果、「孤独死」が起きた、などというものばかりで、「生保のおかげで助かった」とか「生保があるから安心」などの話を一切聞かないからではないでしょうか。
 なんでそんなことになってしまっているのか。「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」との憲法条文はどうなってしまったのか。生活保護をめぐる動向から探っていきたいと思います。

08 Feb

 

 ニュースを観て驚きました。

 

「生活保護費を10%引き下げる」とは・・・。選挙で政権が変わり、政権政党は、その公約の是非がどうであれ、実現に向けて動き出しました。生活保護費の10%を減らすということは、最低生活費の1割を減らすということです。一般の生活でも、収入の1割を減らされると、何をどう削れば生活が成り立つのか、あれこれ節約方法を考えるものですが、最低生活費を1割減らされると、何をどう減らしても生活が成り立たないのではないかと思うのです。そして、生活保護費の引き下げによって、最低賃金を上げる必要もなくなるのです。恐ろしい負のスパイラルです。

 

 さて、今回は、日本の生活保護基準の算定方法の変遷を見ていきたいと思います。変遷を負うことで、生活保護費を減らすということがどういうことか、もう少し見えてくるのではないかと考えています。

 

 戦後、生活保護法が制定されたときには、きちんとした生活保護基準の算定方式が存在していませんでした。民生委員は「補助機関」として福祉事務所と密接な関係にあり、民生委員が「あの人は生活態度が悪いから」といっては生活保護費を減らしたりするよう福祉事務所に進言するなど、最低生活費についての恣意的な操作が可能だったのです。

 

それでは憲法で保障される最低生活保障にはならないということで、新たに採用されたのが、マーケット・バスケット方式(以下、「マ・バ方式」という)でした。

 

 マ・バ方式は、その名の通り、市場で買い物かごに商品を入れるように、最低生活に必要なものを選んでは積み上げて、その合計額を最低生活費とした方式でした。マ・バ方式の利点は、何が最低生活に必要なのかが目に見えて明らかになることでした。マ・バ方式は1948年に採用され、1951年に現在のような生活扶助の体系となりました。その当時は戦争の傷跡を多く残し、国民生活も元通りになっておらず、また、1950年代後半になると物価が急上昇したにもかかわらず、国家予算の関係上、生活保護基準がまったく上がらない時期が数年あったことから、その最低生活の内容は、散々たるものでした。

 

その具体的内容の一例として、以前、菓子職人だった男性の家計簿分析を紹介しましたが(1)、他にも、朝日訴訟第一審のときに証人として出廷した、厚生省社会局保護課長(当時)の尾崎重毅氏は、健康で文化的な最低限度の生活について、「たとえば新聞ぐらいは読よませようというんで新聞の購入は認めるが、それでご想像つくような、その辺の気持ちでやっているわけです」(2)と発言しています。つまり、文化的な最低生活費としては、新聞代しか算定していないと証言しているのです(3)。また、厚生省側の証人として出廷した北海道大学教授(当時)の篭山京氏は、そのような生活保護基準について「ああ、それは低すぎますね、私の研究したものにのっとって言えば低すぎます。明瞭に」(4)と発言しています。厚生省の意に反した証言に、厚生省も戸惑ったことでしょう。

 

篭山京氏は後に、この当時の生活保護費算定における飲食物費について、恣意的な操作が行われたと述べています。例えば、1948年当時は、主食は米72%、残りは麦・甘藷・馬鈴薯で摂る、副食費は大根・人参・玉葱等のありふれた価格の平均とする、1951年の改定では、野菜類の約47%は東京の消費実態に合わせ、残りは甘藷で計算していたとのことです (5)。つまり、栄養とカロリーを摂取するのに、安価なものに置き換えて算定していたのです。生活実態とかけ離れた食費を積算して最低生活費としていたのですから、生活が大変苦しくなるのも無理はないのです。

 

 マ・バ方式は、その最低生活内容の低さゆえに批判を受けましたが、私は、マ・バ方式自体は悪いとは思っていません。最低生活の内容について、その内容がきちんと公表されることが前提ですが、「これは必要だ」「これは不要ではないか」といった議論がしやすくなります。人々が最低生活の内容について関心を持ちやすい方式なのです。ただし、公表されなければ、前述のように恣意的な操作はいくらでも可能になります。そうさせないためにも、民主的に議論できるシステムの構築が同時に必要だと考えています。

 

元金沢星稜大学非常勤講師 冨家 貴子

 

1)拙書「魚のアラとほうれん草」京都府保険医協会2513フォーラム、2011年9月掲載参照

2)朝日訴訟運動史編纂委員会編『朝日訴訟運動史<復刻版>』草土文化、1982年、p127

3)尾崎重毅氏は、そのように発言しながらも、「いまの生活扶助基準は絶対的で、あれ以上あげる必要がないとは自分は考えないが、憲法や生活保護法でいう『健康で文化的な最低限度の生活』は一応みたされていると思う」(ママ)と証言している。前掲書、p126

4)前掲書、p157

5)篭山京『公的扶助論(訂正版)』光生館、1991年、p267参照