「生活保護」という言葉に、みなさんどんなイメージをお持ちですか。
 ポジティブかネガティブかと問われれば、ネガティブな印象をお持ちの方が大半ではないでしょうか。なぜでしょう。それは、生活保護に絡んだ話題の多くが「不正受給」、または「打ち切り」「水際作戦」など、生活保護を受けたくても受けられない、そしてその結果、「孤独死」が起きた、などというものばかりで、「生保のおかげで助かった」とか「生保があるから安心」などの話を一切聞かないからではないでしょうか。
 なんでそんなことになってしまっているのか。「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」との憲法条文はどうなってしまったのか。生活保護をめぐる動向から探っていきたいと思います。

07 Mar

 東京生存権裁判の高裁での弁論から関わる機会があり、2月28日の最高裁判決言い渡しに出席するため、東京に行ってきました。

  判決言い渡し当日は、寒空の下、150名以上の方が最高裁前に集まりました。某新聞が東京生存権裁判の判決について棄却言い渡しの記事を書いているのを読んでびっくりしました。しかし、原告の方をはじめ裁判支援をされている方は、「どんな判決が出ようとも、自分たちはあきらめず、最後までたたかう」という言葉に、新聞記事を見てびっくりした自分が非常に恥ずかしく思えました。

 

 最高裁判所の小法廷の傍聴席は50席ほどです。東京弁護団の弁護士の方のご配慮により、最高裁判所に入ることができました。改めて、弁護士の先生、支援されている方に御礼申し上げます。セキュリティチェックを済ませ、傍聴席に座ってからしばらくすると、4人の裁判官が法廷に現れました(一人は判決前に定年退職)。そして、裁判長が「主文、上告を棄却する」と、2・3言いうとすぐに退廷しました。あっけない判決言い渡しに思わず「酷い」と言葉が出てしまいました。

 

 その後、弁護団の弁護士の方々が判決文を受け取りに行き、最高裁判所前で判決文の説明がありました。弁護士の方は「堀木訴訟最高裁判決を踏襲したもので、ひどい判決内容だ」と話しておられました。判決文については弁護士の方や支援者の代表の方とですぐに分析が行われました。分析はこれからも続くこと、私も分析の途中であることから、詳しい内容はこの場ではお伝えしませんが、複雑な判決内容です。4月2日に福岡生存権裁判最高裁判決が言い渡されることも意識しているのか、厚生労働大臣がどのような場合に裁量権の逸脱にあたり、違法となるのかという判断内容が書かれています。しかしながら、結局は生活保護の在り方に関する専門委員会での厚生労働省の主張をそのまま擁護したものとなっています。そして、もっとも特筆すべきなのは、原告の生活実態に全く触れていないことです。

 

 18時から報告集会が開かれ、様々な方が発言されました。皆さんの発言をすべて紹介できないのが残念ですが、印象に残った発言を紹介します。

 

弁護団の弁護士の方はおっしゃっていました。「貧困に国がどう向き合うかは憲法が何十年も書いています。憲法の精神で貧困に向き合うならば、裁判によって誰を救うのか、国を救うのか、原告を救うのか。国を救うのなら、国が言っていることを写せばいいだけです。裁判所が誰を救うのかを考えることには、天地の差があります。今回の裁判所は、国が隠している貧困の実態を自分の目で見て確かめようとする気迫がありませんでした」。

 

 また、ある弁護士の方はこうおっしゃっていました。「裁判所の判決をどういう風に迎えるか。自分たちの言っていることが間違っていたと判断された、厚労大臣のしていることがいいことだと言われた、という見方があります。一面は確かでもあります。軍配を上げる権利は裁判所にあります。しかし、裁判所の判決は、我々の言い分に採点をしただけではありません。問題を5年間つきつけて、裁判所がどういう答えを書いたのか、裁判所が問われていることにもなります。答案書を書かされたのは裁判所で、採点は、問題提起をしてきた我々がつけたものです。裁判という出来事はそういう切り口もできるし、そういう見方を忘れてはいけません。我々が採点するという視点で判決をとらえていきたいものです」。私にとっては目から鱗の言葉でした。

 

 そして、私が東京の方たちは本当にすごいと感じたのは、原告の方をはじめ、今回の判決が出ても決してあきらめていないことです。4月2日には福岡生存権裁判最高裁判決が出されます。各地で係争中の生存権裁判は、これから東京にやってきます。それらを、最後まで支え、自分も一緒に頑張ることを皆さん話しておられました。

 

 最初にも書きましたが、新聞だけ、ニュースだけ見ていると、世の中の流れはそれらが勝手に作っている側面があることが本当によく分かります。今回の東京生存権裁判最高裁判決行動の中に自分がいなければ、きっと報道の言われるままに受け取っていたと思います。報道は、この裁判を闘ってきた方の思いを最後まで写し取っているわけではありません。

 

 今回の行動に参加して、生存権裁判が今の情勢の中でどのような役割を担っているのか、改めて考えなければならないと思いました。

 

 

 

元金沢星稜大学非常勤講師 冨家 貴子