「生活保護」という言葉に、みなさんどんなイメージをお持ちですか。
 ポジティブかネガティブかと問われれば、ネガティブな印象をお持ちの方が大半ではないでしょうか。なぜでしょう。それは、生活保護に絡んだ話題の多くが「不正受給」、または「打ち切り」「水際作戦」など、生活保護を受けたくても受けられない、そしてその結果、「孤独死」が起きた、などというものばかりで、「生保のおかげで助かった」とか「生保があるから安心」などの話を一切聞かないからではないでしょうか。
 なんでそんなことになってしまっているのか。「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」との憲法条文はどうなってしまったのか。生活保護をめぐる動向から探っていきたいと思います。

16 Feb

最近ふと思うことがあります。母親によると、母親のおなかの中にいたときから食べ物の好き嫌いがあったとのことです。

特に洋食系の食べ物には嫌いな材料が入っていて、食べる前には「○○が入っていないだろうか?」と疑います。しかし、私の嗜好とは反対に、若い人を中心に、バターやチーズ、生クリームなどを使った食べ物が流行っています。味がまろやかになるので、若い人が食べやすいそうです。そのようなわけで、ファミリーレストランなどの店に入って注文するときは、メニューを見てどれを選ぼうか迷うのではなく、食べられないものを消去して残ったものを選択する、という注文方法になっていることに最近気づきました。なんて楽しみのない、貧しい注文方法なんだろうと。

 

 さて、今回は、私が以前から自分の研究意識として頭の片隅に置いていたものを書こうと思います。

 

 近年、「セイフティ・ネット」という言葉をしばしば耳にします。社会保障関係の勉強をされている方なら、一度はお聞きになったことがあるかと思います。大学院の社会保障関係の授業で、この言葉が使われたのは1990年代からだというのを先生が話されて、「何か意味があるのだろうか」と思っていました。そう思いながら、一方では「ナショナル・ミニマム」という言葉を、論文を書くときに当たり前のように使っていました。しかし、以前皆さんにご紹介した「ナショナル・ミニマム」の話を書くにあたっていろいろと本を読むうちに、この二つの言葉は、単なる置き換えではないのではないか、と非常に遅くではありますが考えました。

 

 「ナショナル・ミニマム」は直訳すると「国民的最低限」、「セイフティ・ネット」は「安全網」です。社会保障や生活保護が何であるかを表す場合に、以前は「ナショナル・ミニマム」を一般的に使用していましたが、今は「セイフティ・ネット」を使用することが非常に多くみられるようになりました。「ナショナル・ミニマム」は、これ以上引き下げると国民の生活が成り立たない、つまり、これ以下のものは認めないという一つの基準を表します。しかし、「セイフティ・ネット」は、網の目が大きかろうが小さかろうが、また網自体が大きかろうが小さかろうが「網」には変わりないのです。

 

 これらは単なる言葉の違いに思えるかもしれませんが、社会保障等の議論をした場合、大きな違いが出てきます。

 

 現在、「税と社会保障の一体改革」等で、社会保障関係のサービスが縮小されようとしています。このとき、「ナショナル・ミニマム」という言葉を使うと、今まではこれが最低限だと言っていたのに、引き下げるということは「最低限以下」になるのか、という議論に発展します。しかし、「セイフティ・ネット」という言葉を使うと、社会保障関係のサービスが縮小されても、網の目が粗くなるか、網自体が小さくなるかの違いで、「セイフティ・ネット」自体は存在するのです。「セイフティ・ネット」という言葉には、これ以下では駄目だという基準自体がないのです。

 

 こう考えると、最近よく使われている「セイフティ・ネット」という言葉は、社会保障関係のサービスをその時々によって自由に操りたい側にとっては、非常に便利な言葉となります。1990年代ごろから日本でこの言葉が使われ始めましたが、ちょうどそのころ、新自由主義的な社会保障制度に関する勧告が出されました。授業で話を聞いたときは、心に引っかかりはしたものの、きちんと整理ができないでいました。今考えると、教えてくださった先生の指摘は大変重大な指摘だということが分かり、新しい言葉が出てきたとき、その言葉の持つ意味を十分に考えないといけないと、改めて痛感しました。

 

元金沢星稜大学非常勤講師 冨家 貴子