「生活保護」という言葉に、みなさんどんなイメージをお持ちですか。
 ポジティブかネガティブかと問われれば、ネガティブな印象をお持ちの方が大半ではないでしょうか。なぜでしょう。それは、生活保護に絡んだ話題の多くが「不正受給」、または「打ち切り」「水際作戦」など、生活保護を受けたくても受けられない、そしてその結果、「孤独死」が起きた、などというものばかりで、「生保のおかげで助かった」とか「生保があるから安心」などの話を一切聞かないからではないでしょうか。
 なんでそんなことになってしまっているのか。「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」との憲法条文はどうなってしまったのか。生活保護をめぐる動向から探っていきたいと思います。

17 Jan

 今、特急の中で原稿を書いています。周りの乗客はツアー客の方がほとんどです。添乗員の方の話を聞いていると、どうやら白川郷に行かれるようです。

 

 

今日の大阪は晴れ、しかし北陸から北の日本海は雪、もちろん白川郷は岐阜県の山間地ですから積雪はかなりのものになることは想像に難くありません。私は、ツアー客の方が長靴を持ってきておられるか心配になりました。雪が降ると足元が冷え、滑りやすく、雪に慣れている人でないと普通のスニーカーなどで歩くことはできません。雪が解けてぬかるみになると、靴がびしょ濡れになります。そこで便利なのが長靴なのです。水は沁みないし、足元は暖かく、雪の日には欠かせない履物です。

 

 さて、本題に入りたいと思います。昨年は、結構いろんなテレビドラマを観てきました(といっても録画したものを11時間ほどみるだけですが)。そして、今のテレビドラマは、ドラマの限界こそあれ、鋭いところをついているし、私にもドラマの場面と同じことが起こるかもしれないと思ったことを思い出しました。

 

 ある刑事ドラマの話です。事件は結局殺人ではなく自殺だということが判明しましたが、判明するまでの間、刑事が自殺された方の足取りを丁寧に追っていきます。亡くなられた方は職を失い、住む場所も失い、いろんなところに助けを求める信号を送っていました。その一つが市の福祉事務所でした。福祉事務所では、結局その方を相談扱いにして返してしまいます。刑事は福祉事務所の職員になぜ返してしまったのか尋ねました。福祉事務所の職員は、ケースを百件以上抱えていて大変なんだ、という旨の発言をします。しかし、刑事は、仕事がいくら忙しいからといって、生活保護を申請しようとする人を返してしまうことは、その人の権利を侵害することになる、忙しいのは市役所の問題であってその方には何の責任もないことだと述べていました。

 

 この話の前後どちらかは覚えていませんが、ある福祉事務所の方に、私は同じような質問をしていました。その方は、福祉事務所に相談に来られた方はいろんな人がいるから、もしかしたら他法でどうにかなるかもしれないし、まず話を聞かないと、生活保護の利用が必要か分からないという旨のことを話していました。私は、それは申請を受理してからでもいいのではないか、もし他法他施策が適用できるなら、受理後にきちんと話を聞いて、要否判定を行ったらいいのではないかと言いました。私の話を聞いた福祉事務所の方は少しムッとされたようです。後日伺うと、ひとりのケースワーカーが100ケースを抱えており、しかも相談が次々くる中で、金融機関に照会したりという煩雑な業務を得て初めて要否判定が出せる仕組みになっているので、すべてを受理すると、これらすべての業務をこなさなければならなくなる、今の福祉事務所の人員体制ではこなすことは到底できないということでした。

 

 仕事内容こそ違え、同じ福祉現場で働く者としては、その福祉事務所の方がおっしゃっていることは非常によく分かります。福祉事務所ですから、私の仕事以上に様々な経歴を持った方が来られるという意味では、相談段階で判断しないと仕事が終わらないであろう、職員は過労で倒れてしまうだろうということも理解できます。そして、この福祉事務所の方の勤める職場では、毎年人員増員要求を出して対応しようと努力されていることも存じ上げています。

 

 しかし、私の心の中では「でも・・・」と、腑に落ちていません。先ほどの刑事の言葉が浮かぶのです。行政の内部の事情を市民に転嫁していいものだろうか、と。

 

 以前、私は福祉事務所のカウンターの内と外の話を書きました。福祉事務所職員は手におえないほどのケースを抱えて悲鳴を上げている、市民の側としては、ひとりひとりが本当に困って福祉事務所を訪ねているのだからきちんと応対してほしい・・・。今振り返ると、カウンターの内と外で対立が起きざるを得ないような何かが意図的に仕組まれているのではないか、と思わざるを得ないのです(これには多角的な分析が必要です)

 

 ドラマの一場面でしかありませんが、意識的に観ていくと、今日の社会問題が見え隠れしています。ドラマが娯楽の域で終わることがないのは、それだけ様々な問題が深刻になっているからからもしれないと思いました。

 

元金沢星稜大学非常勤講師 冨家 貴子