「生活保護」という言葉に、みなさんどんなイメージをお持ちですか。
 ポジティブかネガティブかと問われれば、ネガティブな印象をお持ちの方が大半ではないでしょうか。なぜでしょう。それは、生活保護に絡んだ話題の多くが「不正受給」、または「打ち切り」「水際作戦」など、生活保護を受けたくても受けられない、そしてその結果、「孤独死」が起きた、などというものばかりで、「生保のおかげで助かった」とか「生保があるから安心」などの話を一切聞かないからではないでしょうか。
 なんでそんなことになってしまっているのか。「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」との憲法条文はどうなってしまったのか。生活保護をめぐる動向から探っていきたいと思います。

15 Nov

  一雨降るごとに気温が下がってきました。平地はまだ紅葉とはいえませんが、山の頂上はすでに紅葉が終わって冬支度が始まっています。

 

山の中腹がちょうど紅葉の見ごろで、先週、白山スーパー林道に初めて行って、その紅葉を眺めていました。と思ったら次の日腰を痛めてしまい、一歩踏み出すと痛みで歩けず、整形外科で痛み止めを何本も打って、やっと職場に通うことができるという状態になってしまいました。腰痛は救護施設に勤めていた時からのものですが、これとずっと付き合わないといけないのかと思うと、紅葉狩りの思い出もどこかに吹っ飛んでしまいました。

 

 さて、今回は日本の社会福祉制度の歴史的特徴を、公的扶助を中心として見ていきたいと思います。大学の授業準備のときに資料を読んでいて、日本の社会福祉制度は独自の特徴を持っていること、それが今日にも影響を及ぼしていることに気付いたからです。具体的には、明治維新の時に端を発していると考えています。

 

 日本の封建時代、江戸時代には、各藩が独自の救済制度を持っていました。例えば、江戸では、「小石川療養所」のような貧困のために医者にかかることのできない人のための診療所を設置したり、働き口を与えるために「人足寄場」を設置したりしたことは有名です。明治維新後、明治政府は「廃藩置県」を行い、天皇を中心とする中央集権国家の成立を急ぎました。本来なら、各藩の救済制度を中央政府が統一したものに作り直すべきなのですが、各藩が行っていた独自の救済制度も同時に廃止してしまったのです。この頃は全国的に飢饉となり、また「秩禄処分」も明治政府は行ったので、街には貧困にあえぐ農民や武士があふれ出しました。

 

 これに対して、民間で救済事業を行う人もいました。例えば、ここ金沢市では、江戸時代末期に小野太三郎という方が、浮浪者を収容する施設を作りました(小野慈善院、1864年)。これは、救済の意味もありましたが、町の治安対策という側面も持っていたようです。小野太三郎氏が作った施設が後に高齢者の収容施設と子どもの収容施設に分かれ、高齢者の施設は現在社会福祉法人「陽風園」にある万陽園に引き継がれています。

 

 このような事業を行った方を当時「篤志家」と呼んでいました。各地で篤志家が活躍しますが、あくまで個人での取り組みですので、どうしても限界があります。都道府県が設立した施設もありましたが、数が非常に限られていました。そこで、明治政府に訴えたのが、現在の滋賀県でした。藩政時に行っていたような救済制度を行って無告の窮民[i]を救済してほしいと訴えたのです。明治政府はこれを受けて、1873年に日本の生活保護法の基にあたる「恤救規則」を定めました。

 

 内容は、70歳以上あるいは13歳以下の者で、身寄りがなく、病気や障害で働くことができず、困窮している者に米を与えるというものでした。最大の特徴は、政府が統一した救済制度でありながら、イギリスの救貧法にみられるように、法律によって救済を義務付けるものではなく、あくまで天皇の恩恵によって救済されるというものでした。つまり、国に救済の義務はなかったのです。それでも、恤救規則が定められると、救済を申し出る人が多く現れ、政府は救済を抑制するために「隣保相扶」(隣近所で助け合う)の思想を打ち出しました。

 

 この当時、日本は資本主義国家を目指すため、低賃金で人々を働かせ、農村部は高い税金が払えず、小作農家として地主に高い小作料を納め、国民の半分は貧困な生活を送っていたと言われています。歴史を振り返ると、今の日本は資本主義を確立していますが、この頃の政府の考えや思想が今も引き継がれているのではないかと思いました。

 



[i] 無告の窮民とは「鰥寡孤独或ハ廃疾ニテ自ヲ営業スル能ハス窮状飢寒ニ迫ル者」(夫を失った女性・妻を失った男性・親のいない子ども・子どものいない高齢者など誰にも頼ることのできない人・病人・身体障害者などで、自分自身を養うことができず、飢えと寒さで困窮し、不平不満を述べる力もない者:筆者訳)を指す。右田紀久恵・高澤武司・古川孝順編『社会福祉の歴史〔新版〕』有斐閣、2001年、p212参照。

 

元金沢星稜大学非常勤講師 冨家 貴子