「生活保護」という言葉に、みなさんどんなイメージをお持ちですか。
 ポジティブかネガティブかと問われれば、ネガティブな印象をお持ちの方が大半ではないでしょうか。なぜでしょう。それは、生活保護に絡んだ話題の多くが「不正受給」、または「打ち切り」「水際作戦」など、生活保護を受けたくても受けられない、そしてその結果、「孤独死」が起きた、などというものばかりで、「生保のおかげで助かった」とか「生保があるから安心」などの話を一切聞かないからではないでしょうか。
 なんでそんなことになってしまっているのか。「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」との憲法条文はどうなってしまったのか。生活保護をめぐる動向から探っていきたいと思います。

02 Jun

 もうすぐ6月だというのに寒い日が続いています。

  ガソリンスタンドで灯油を買い足している人を見ると、他の方も同じように寒いと感じているんだなと思いました。私の部屋にある石油ファンヒーターは灯油切れのまま置いてあります。まだまだ寒い日が続くのなら灯油を少し買い足そうかと考えたりもしたのですが、これから暑くなることを思うと、「買い足すのもなあ・・・」と躊躇し、エアコンをつけたり厚着をして我慢しています。

 最近、物事を大局的に見ることができていないなあと思いつつ、地方自治と社会保障の関係についての学習会に参加しました。
 
 今、「地方分権」が盛んに言われています。私が中学校ぐらいの時は「3割自治」という言葉を習ったほど、日本では地方自治がなおざりにされてきました。そこで、今「地方分権」が盛んに言われています。
 
 戦前は中央集権政治体制で、地方自治というものがありませんでした。自分たちの住む地域の生活をそこに住む住民自身が築くことはできませんでした。国民はみんな「臣民」であり、主権者ではなかったのです。「地方自治」が盛り込まれたのは戦後日本国憲法が制定されてからです。「地方自治」を盛り込んだのは、今考えると、国民が主人公であり、その主人公による民主主義を築く出発点は、自分たちが住む地域だからなのでしょう。
 
 しかし、戦後の日本政府は、中央集権型の開発国家を目指し、地方自治を築こうとはしませんでした。1970年代、革新自治体が誕生し、地方独自の施策が国の施策に取り入れられるなど、地方自治が芽生えつつあった時期もあったのですが、それも長続きしませんでした。
 
 このように歴史をみると、今「地方分権」が言われるのは、必然的なものでもあるとのことです。なんで今「地方分権」なんだろうと思いながら話を聞いて、なるほどなあと思いました。しかし、今の「地方分権」構想は本当に地域住民の生活を保障するものになるのかといえば、それは別問題とのことです。
 
 社会保障・社会福祉の分野でいえば、保育所が今問題になっています。昨今の不況下、働くために保育所に子どもを預けようと思っても、都市部では保育所の数が足りず、厚生労働省は、4月から一定の条件を満たせば認可保育所の定員超過制限を撤廃できる通知を自治体に出しました。一見すると、各自治体の実情に合わせた保育所運営ができるのだからよいのではないかと思いますが、子どもの発達を保障する基準というものがこれからは自治体ごとに違うものになっていくことでしょう。
 
 1970年代は地方自治が芽生えつつあったと書きましたが、このときは、国の基準以上の施策を地方独自で行ってきました。老人医療無料化がその典型例です。今の「地方分権」は、「財源なき権限移譲」と言われるように、権限は自治体に移りますが、予算がそれに伴いません。すると、自治体によって予算配分が違うものになってしまうかもしれないのです。悪い方向に向かうと、結果的には国の基準以下になることを国が容認することになり、ナショナル・ミニマム(国民最低限)の崩壊となってしまうことが考えられます。自治体に権限が移れば、住民が予算配分にかかわることができるのではないかと思われますが、自治体の規模がより広域になることが考えられており、住民による「自治」とは程遠いものになるとのことです。
 
 本来の地方自治を目指すのならば、まずはナショナル・ミニマムを確立・維持していくことがその基盤となるとのことでしたが、その通りだなと思いました。保育所問題に関しては、一つの保育所の定員数を増やすのではなく、保育所の数そのものを増やすことが必要だと思いました。
 
 生活保護に関しては現状通り100分の75を国が負担し、国の負担金が自治体の一般財源に組み込まれることは考えられていないとのことです。しかし、大都市などでは、この不況で生活保護を利用する人が増え、生活保護費の100分の25を自治体が負担しなければならないことから、自治体の財政を圧迫しているとのことで「5年間の有期保護」を訴えている自治体もあります。資本主義経済がどういうものかを考えれば、「有期保護」自体があり得ないものなのですが、このようなことを訴えるほど財政を圧迫しているのも事実です。もともと生活保護にかかる費用を100%国庫負担としなかったのには、地方自治体負担分を残すことで生活保護の利用を抑制するという意図がありました。日本に住むすべての人に「健康で文化的な」最低限度の生活を保障するという憲法25条の主旨と矛盾するものです。生活保護の費用に関しては、本来の地方自治にのっとった財政運営が行われたとしても100%国が負担すべきだという意見がありましたが、私もその意見に同感しました。先ほども書きましたが、生活保障の基盤がしっかり保障されてこそ、自治体の裁量というものは本当の意味での「地方自治」の目的を果たすのだと思うのです。
金沢星陵大学非常勤講師 冨家 貴子