「生活保護」という言葉に、みなさんどんなイメージをお持ちですか。
 ポジティブかネガティブかと問われれば、ネガティブな印象をお持ちの方が大半ではないでしょうか。なぜでしょう。それは、生活保護に絡んだ話題の多くが「不正受給」、または「打ち切り」「水際作戦」など、生活保護を受けたくても受けられない、そしてその結果、「孤独死」が起きた、などというものばかりで、「生保のおかげで助かった」とか「生保があるから安心」などの話を一切聞かないからではないでしょうか。
 なんでそんなことになってしまっているのか。「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」との憲法条文はどうなってしまったのか。生活保護をめぐる動向から探っていきたいと思います。

10 May

 ファンヒーターが手離せなかった寒い4月から、夏の一歩手前のような5月に入りました。

 学校の授業もすでに始まり、学生の質問を見るたびに、限られた時間の中でどのように説明したら少しでも理解してもらえるのか、いつも考えてしまいます。

 その中の一つに、「ナショナル・ミニマム」という言葉があります。日本では「国民的最低限」と訳されます。国家がその国に住む人々の生活に対し、これだけは最低限保障する、という意味です。日本ではその一例として憲法第25条が挙げられます。具体的には、生活を保障するそれぞれの政策一つ一つを見ていかなければなりません。
 
 この「ナショナル・ミニマム」ですが、その歴史をひも解くと、歴史的には浅いものですが、非常に深い意味を持つものであることが分かります。今回は、イギリスの「ナショナル・ミニマム」の歴史に、ごく簡単に触れたいと思います。
 
 世界で初めて資本主義国となったイギリスは、19世紀後半、工場法(労働時間を規制した法律)など労働者を保護する法律を有する先進国でもありましたが、賃金の規制、つまり最低賃金の保障については遅れていました[1]。当時のイギリスは、大工業が小工業や家内工業を淘汰し、大量の不熟練労働者を生み出した時代であり、請負制度のもとで、労働者の熟練性の不要、組合などが無いことなどを利用して[2]、労働者を不当に安い賃金で長時間働かせる「苦汗労働」が広がっていました。「苦汗」とは、請負人を、労働者の脂と血を絞って得た収益を絞り取る者=sweaterと呼んだことから生まれた言葉です。この「苦汗労働」を支えた労働者は、男子不熟練労働者の妻や娘でした。不熟練労働者は熟練労働者と違い、不完全就業者であり、不熟練労働者同士仕事を分け合っているような状態でした。そのため、苦汗労働者の多くは、請負人の言い値で仕事をするしかなく、不熟練労働者である夫や父親の賃金を補助し、不熟練労働者世帯の生活を支えていました。苦汗労働の職種は、既製服、鎖、紙箱、容器、砂糖菓子製造、刺繍業などでした。
 
 1890年、「上院苦汗制度調査特別委員会」の報告書が発表されると、婦人労働組合連盟は苦汗労働者の組織化を行おうとしましたが、苦汗労働者の無関心や仕事を失うという恐れなどから、思うように組織化できませんでした。「未組織なるがゆえに低賃金、低賃金なるがゆえに未組織」という悪循環を断ち切るためには、賃金の国家規制、賃金についての国民的最低限を設ける必要がありました。
 
そこで、反苦汗運動を展開していたフェビアン協会のシドニー・ウェッブとビクトリアス・ウェッブ=ウェッブ夫妻は、生産力向上のための国民的最低限政策(ナショナル・ミニマム)構想に基づき、未組織労働者のために、最低週所得の国家規制を実施することを提唱しました。それは、最低週所得の国家規制は社会の底辺に置かれている人々に最も必要であり、どのような圧力がかかろうとも、如何なる部門の賃金労働者も最低週所得以下に押し下げられることがないようにすることが国民最低限政策において非常に重要だからでした。資本主義社会では、労働者は働いて賃金を得て生活することが前提となります。労働者にとって賃金は第一の生活防衛手段となります。ですので、最低賃金の規制がないと、いくらでも賃金を引き下げることができ、それがすべての賃金労働者にもおよび、働いても生活が営めなくなるのです。
 
 そして1906年、同年結成された婦人一般労働組合の全国婦人労働者連合は、苦汗産業展覧会を開催し、苦汗労働の撲滅立法の必要性を訴え、ここを訪れた上流階級の人々に大きな関心を呼び起こしました。この展覧会は各地で催され、苦汗労働が社会問題として認識されるようになり、1909年、国会に「賃金委員会」が設置され、まず4つの苦汗産業に最低賃金法が適用されました[3]
 
 このように、ナショナル・ミニマムの基礎となるのは最低賃金の確立であり、最低賃金の確立こそがナショナル・ミニマムの基礎になるのです。公的扶助(日本では生活保護にあたる)に関連しますと、働いて得られる賃金の最低限を基礎に、何らかの理由で働けない場合の最低生活保障としての公的扶助の基準が決まります。公的扶助の基準は最低賃金次第なのです。
 
 今、日本では、最低賃金が問題となっています。働いても食べていけない、生活保護基準以下の賃金となっているのです。そして今年4月9日、生活保護基準未満の所得しか得ていない世帯のうち生活保護を利用している世帯は15.3%にとどまることが、厚生労働省の推計で明らかになりました。生活保護基準未満の世帯の世帯構成員は様々だと思いますが、働くことのできる構成員のいる世帯の場合だと、低賃金の仕事にしか就けていない可能性が非常に高いと思われます。そして、生活保護基準は相当低所得の世帯をモデルとしています。低所得の世帯がモデルということは、賃金がそれだけ低いということです。賃金は低いが生活保護は利用できない、となると、より低賃金の仕事でも就かざるを得ない、すると賃金をモデルとした生活保護基準はさらに引き下げざるを得ない・・・。ウェッブ夫妻が唱えたナショナル・ミニマムとは逆方向の、負のスパイラルに向かってナショナル・ミニマムが決定されていると考えざるを得ないのです。日本の場合、生活保護が何らかの理由で利用できないことによって低賃金が温存され、それによって生活保護基準も抑えられているかのようです。本来の考えと実際が逆転しているのです。
金沢星陵大学非常勤講師 冨家 貴子
 


[1] ちなみに、世界で最初に最低賃金を確立した国はニュージーランドで、1894年です。
[2] イギリスでは、熟練労働者の労働組合は確立されていました。
[3] 小川喜一編『社会政策の歴史』有斐閣、1977年、p78-93参照