「生活保護」という言葉に、みなさんどんなイメージをお持ちですか。
 ポジティブかネガティブかと問われれば、ネガティブな印象をお持ちの方が大半ではないでしょうか。なぜでしょう。それは、生活保護に絡んだ話題の多くが「不正受給」、または「打ち切り」「水際作戦」など、生活保護を受けたくても受けられない、そしてその結果、「孤独死」が起きた、などというものばかりで、「生保のおかげで助かった」とか「生保があるから安心」などの話を一切聞かないからではないでしょうか。
 なんでそんなことになってしまっているのか。「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」との憲法条文はどうなってしまったのか。生活保護をめぐる動向から探っていきたいと思います。

27 Oct

 今月15日、生存権裁判東京高裁の証人尋問が行われました。その証人の一人として、初めて法廷に立ちました。

 

 何が争点だったのかは別の紙面に譲りますが、証人尋問にあたり、「生存権裁判を支援する全国連絡会」会長でもある小川政亮先生に多くの資料を送っていただきました。証言するに当たり核心となる資料も探してくださいました。本当にありがとうございました。

 せっかく送ってくださった資料を他に活かせないかと思い、今回は、その中でもドイツ(西ドイツ)の生活保護について、日本とどう考え方が違うのか、小川政亮先生の論文「ドイツ公的扶助制度の成立と現状(西ドイツ)」(『日本社会事業大学研究紀要』1958年11月、p75~90)を少し紹介したいと思います。
 
 日本国憲法の第25条は、1919年に成立したドイツのワイマール憲法の条文が基になっています。そのワイマール憲法下で1924年、公的扶助立法が成立しました。「保護義務命令」と、この命令の条文に基づいた「保護の要件・種類及び程度の関する国の原則」の2つを指します。少しだけ内容を紹介します。①できるだけ統一的な国の法律に基づいて運営されること、つまり、各州の権限は残されていますが、保護の要件や種類及び程度については議会の承認を得て原則を定めることを建前としました。②貧民救護を廃止し、一般的保護としたこと、つまり、救貧の目的は貧民の生活を維持することにありましたが、一般的保護の目的は生産的であって、要保護者に自立能力を付与すること、そのために、保護の任務は要保護者が必要とする生活需要を充足することとされ、その人の状態によって補足的な所得が給付されました。
 
 同じ頃、日本では「恤救規則」が生活困窮者に唯一対応する制度で、まずお互いが助け合うこと、放置できない「無告の救民」は天皇の慈悲により救済する、というものでした。ちなみにイギリスでは、失業保険法が成立し、失業者は保険で対応することになりましたが、救貧法はまだ残っていました。ドイツでは、日本が戦後になって検討した公的扶助のあり方をすでに取り入れていたのです。
 
 しかし、この後ナチス政権が台頭してくると、ワイマール憲法は死文となり、公的扶助は再び救貧的なものに後退しました。
 
 第二次世界大戦が終わり、ドイツは東西に分かれて占領されました。占領終了後、西ドイツでは、先ほど述べた公的扶助立法は引き続き連邦法としての効力を有することとされました。そして、1953年にこの法律が改正されました。小川政亮先生は、日本の生活保護行政と比較して興味ぶかいところを書いておられます。その中で、私が関心をもったところを取り上げたいと思います。
 
 日本では、原則として生活保護は申請が原則とされていますが、西ドイツでは、生活保護の機関の職員が一人でも保護の必要な人を知っていれば、その人を保護しなければならず、必ずしも申請を必要としません。それは、恥辱感や無知から保護を受けないという人があってはならない、要保護者が保護を受けることを断念したからといって、行政側が保護を行う義務を免れるものではないからだとされています。
 
補足性の原則(まず自分の能力や資産を活用して最低生活に充てること)は西ドイツでも規定されていますが、いくつか例外を認めています。保護の目的である自立の援助を阻害しないために、一定の資産、家具、職業教育を受けたり生業活動を開始または継続するために必要なものは資産とはみなしません。この他に、人道的理由によるものとして、家伝の美術品や世襲の品物で、それを処分することが要保護者に辛い思いをさせたり、その交換価値以上に要保護者や家族が特別な価値をもっているものなどは資産とみなしません。また、私保険も相当だと思われる範囲のものは保険金を控除されます。第三者からの寄付、扶養義務者からの扶養収入、年金、勤労収入一定の範囲収入としてみなしません。本人が生きていく意欲を阻害しないためであり、また、せっかく寄付などを行っても収入とみなすと寄付した意味がなくなるからです。
 
西ドイツでは、日本のように同一世帯というだけで世帯の収支を一体として取り扱う考え方ではなく、世帯の中で誰が困窮状態にあり、困窮していない成員から援助を受けられるかを考慮して保護の度合を考えます。世帯員全員の自立を阻害してはならないからであり、保護の個別性が早くから考えられていることがうかがえます。
 
生活保護基準についてですが、住宅費は実費を支給するので、基準からは外されています。日本のように各地域で定められている住宅扶助基準以内の住居を探したり、そこに転居したりしなければならないことはないのです。要保護者が慣れ親しんだ場所に住み続けることができるということは安心感をもたらし、これからへの意欲へとつながるのだと思います。
 
高齢者や障害者、ひとり親家庭など、一般の人々よりも需要が大きい人々にはその分を加算として支給します。また、一般基準で対応できない場合、要保護者の生活需要を満たすことが自立へつながるという考えから、基準によらない生活費の測定が必要な場合は、給付はそれに応じて行わなければなりません(日本でも一般基準によらない場合「特別基準」の設定はできますが、厚生労働大臣に伺いをたてなければなりません)。
 
日本では厚生労働大臣が基準を定めますが、西ドイツでは基準を定める際に、要保護者に属する人々や要保護者を保護する団体の意見を聞かなければなりません。
 
以上、小川政亮先生が50年ほど前に書かれたドイツ(西ドイツ)の公的扶助について少しだけ紹介しましたが、日本の現行生活保護行政をみても、50年前のドイツの方が合理的で、進んだものであることがうかがえます。
 
ドイツの行政関係職員が劣等処遇的な考えを持ち合わせていないというわけではないということですが、むやみに原理原則に沿ってしまうと、それは貧困者を救貧生活にしばりつけることになり、本人がよりよく生きたい意欲も失わせてしまうことをよくくみ取って制度化されているのだと思います。
 
現在、東西ドイツは統一され、公的扶助法も昔とは変わっていますが、こうして比較することで、日本の生活保護のまだまだ不十分なところが見えてきます。今まで当たり前だと思っていたことが、そうではないことに気づくのです。
 
証人尋問では無我夢中に答えていましたが、こうやって原点に戻り振り返ることが、答える際の自分の地盤となっていくのだと思いました。学問の奥深さと勉強不足を考えさせられました。
金沢星陵大学非常勤講師 冨家 貴子