「生活保護」という言葉に、みなさんどんなイメージをお持ちですか。
 ポジティブかネガティブかと問われれば、ネガティブな印象をお持ちの方が大半ではないでしょうか。なぜでしょう。それは、生活保護に絡んだ話題の多くが「不正受給」、または「打ち切り」「水際作戦」など、生活保護を受けたくても受けられない、そしてその結果、「孤独死」が起きた、などというものばかりで、「生保のおかげで助かった」とか「生保があるから安心」などの話を一切聞かないからではないでしょうか。
 なんでそんなことになってしまっているのか。「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」との憲法条文はどうなってしまったのか。生活保護をめぐる動向から探っていきたいと思います。

24 Dec

  今年もあと少しとなりました。

  歳をとると(実習巡回先の職員の方には「まだ若い」と言われますが、いわゆる「アラフォー」世代に近づいてきました)月日の経つのが早いと感じます。今回は、1年を振り返って、勉強して気づいたこと、そして悔しい思いをしたことを書きたいと思います。


 生活保護制度には、生活保護を受ける上で、行政による処分(行政による決定)によって何らかの不利益を受けたとき、それを不服として、処分取消しを行政庁に訴えることができます。それを不服審査請求といいます。生活保護業務を行っている実施機関が置かれている都道府県知事に不服を訴えることを審査請求といいます。そして、都道府県知事の裁決に不服があった場合、厚生労働大臣に再度処分取消しを訴えることができます。これを再審査請求といいます。


 不利益を受けたとされる行政処分の内容は様々です。生活保護世帯で、DV被害を受けた女性が夫から逃げて避難施設のショートステイを利用し、その費用が賄えないので生活保護を受けたいと担当ケースワーカーに話すと、本来なら世帯分離し、別世帯として女性の保護申請を認めるべきところを、その女性を世帯から削除処分としたこと、精神疾患で引きこもりの家族が稼働能力を有しているのに就労しないとして、生活保護申請を却下処分としたこと、保護申請に来た要保護者にまずハローワークに行かせ、一定期間内に仕事を見つけられないと稼働能力を活用していないとして、生活保護申請を却下処分としたこと、公営住宅に入居することを被保護者が担当ケースワーカーに伝えると、本来なら転居先の福祉事務所に引き続き生活保護が受けられるよう連絡するべき(移管ケース扱い)なのに、実施機関の管轄外となるので保護廃止になると言って、保護廃止処分としたことなど、様々です。


 審査請求を行って、実施機関の行政処分を取り消す裁決もごくわずかに見られますが、ほとんどが「却下(訴えは認められない)」です。そして、裁決に不服がある場合、再審査請求を厚生労働大臣に行うのですが、小川政亮先生の本を読んで、この審査請求の流れ自体が問題であることに気づきました。再審査請求先は、都道府県の生活保護行政を指導・監督している厚生労働大臣です。つまり、被保険者・市町村・公益を代表する者で構成されている介護保険の介護審査会のように、第三者を交えて審査する仕組みにはなっていないのです。行政庁の裁決に対する不服を上級庁が再度審査するので、よっぽどでない限り行政処分が覆ることはないのです。もちろん裁判に訴えることもできますが、今度は低所得の方が裁判費用を捻出できるのか、という問題が出てきます。


 このように、一見争う権利が保障されているように見えながら、実際は非常に不十分でしかないのです。


 これと似たような思いを私もしました。生活保護制度に関してどのような議論が行われているのか、近年はインターネット上で議事録や資料が公開されていますが、過去のものは厚生労働大臣に情報公開請求をしなければなりません。そこで、生活扶助基準算定方式がどのような議論を経て決定されたのか、情報公開請求をしました。すると、厚生労働省の保護課総務課長から、「議事録は10年経ったら処分するので存在しない」と連絡が入りました。しかし、20年以上前の議事録は存在しますし、実際に私の手元にあります。もちろん最近手に入れたものです。他の研究者の研究を見ていると、もっと古い議事録が存在していることも分かります。しかし、そのことを話しても、「存在しない」との返事だけです。そして、「不開示」の決定書が送付されてきました。この決定に不服がある場合は不服審査請求を行うことができますが、請求先は、情報公開請求と同じ厚生労働大臣です。これでは何度不服審査請求を行っても意味がありません。私たちは厚生労働省の倉庫に入ることができませんので、議事録が本当に存在しないのか確かめることもできないのです。厚生労働省のことを知っている第三者が不服審査請求を審査しないと、知る権利が保障されているとは到底言えないのです。


 私は、生活保護に限らず、同じような思いをした方が多くいらっしゃるのではないかと思います。もしいらっしゃったら、ぜひ声を聞かせていただきたいと思っています。


 私たちの最低生活のあり方に関して争う権利と知る権利に関する法律規定はこんなにも不十分なものなのかと、悔しい思いをした1年でした。

金沢福祉専門学校教員 冨家 貴子