「生活保護」という言葉に、みなさんどんなイメージをお持ちですか。
 ポジティブかネガティブかと問われれば、ネガティブな印象をお持ちの方が大半ではないでしょうか。なぜでしょう。それは、生活保護に絡んだ話題の多くが「不正受給」、または「打ち切り」「水際作戦」など、生活保護を受けたくても受けられない、そしてその結果、「孤独死」が起きた、などというものばかりで、「生保のおかげで助かった」とか「生保があるから安心」などの話を一切聞かないからではないでしょうか。
 なんでそんなことになってしまっているのか。「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」との憲法条文はどうなってしまったのか。生活保護をめぐる動向から探っていきたいと思います。

20 Oct

 生活保護の原理の一つに「補足性の原理」があります。

 これは、生活保護法による保護を受ける前に、自分の資産や能力など、あらゆるものを活用しなさい、というものです。この「あらゆるもの」の一つに、民法に定める扶養義務者による扶養があります。今回は、この扶養義務と現代の家族関係について、少しだけ触れたいと思います。


 民法に定められている扶養義務関係は、絶対的扶養義務者と相対的扶養義務者に分かれます。絶対的扶養義務者の範囲は、配偶者、自分の兄弟姉妹、曽祖父母から曽孫までです。相対的扶養義務者は、絶対的扶養義務者を除き、配偶者の甥姪から曽孫の配偶者まで入ります。非常に幅広い扶養関係です。


 現代において、このような幅広い関係にまで扶養を求めることができるのか、疑問に思うところですが、それはさておき、生活保護制度では、この関係に基づき、局長通知によって扶養の程度が決まっています。夫婦間または親の未成熟の子(中学3年生以下)に対する関係を「生活保持義務関係」といい、それ以外の関係を「生活扶助義務関係」といいます。まず、「生活保持義務関係」について、みていきます。


 要保護者に対して生活保持義務関係にある者は、自分の収入が最低生活費以下である、または、要保護者の長期入院や施設入所によって、要保護者と世帯分離を行わなければ自分も要保護状態に陥る場合を除き、自分の最低生活費を上回る部分を、要保護者の最低生活費の一部、または全部として賄わなければなりません。


 夫婦関係や親子関係なら当たり前じゃないか、と思う方がほとんどだと思います。しかし、今、この当たり前と思われている扶養関係が崩れてきています。その一つの例が、DV(ドメスティック・バイオレンス)です。DVとは、直訳すると、「家庭内暴力」ですが、夫婦や恋人間でふるわれる暴力のことを指します。夫婦間でのDVによって、加害者から逃げてきた被害者や、被害者とその子どもが、収入も無く、働くところも無く、他に頼る人も無く、生活保護を受けなければならないとき、婚姻関係が続いていれば、生活保持義務関係にある加害者=配偶者に扶養義務があります。

 しかし、加害者に扶養照会を行うと、被害者の居場所が加害者に知られてしまう恐れが生じます。そのため、このような場合は、「生活保持義務関係者がいない世帯に転入しており、同一世帯として認定することが適当でない」ものと判断します。私事ですが、施設勤務時に、何名かのDV被害者の措置委託がありましたが、住民票は動かさない(動かすと転居先が知られてしまう)、個人的な電話連絡は全て被害者から行ってもらい、被害者宛の電話の応対はしない、場合によっては法的措置をとる等、職員全員がそれらを常に念頭に置いて、生活支援を行ってきました。それほど慎重に対応しなければないのです。もちろん扶養義務を加害者に課すことはできませんので、別世帯として保護を開始します。


 次に、「生活扶助義務関係」についてみていきます。これは、①生活保持義務関係以外の絶対的扶養義務者、つまり、自分の親兄弟等、②相対的扶養義務者で、現在要保護者またはその世帯に援助を行っている者、要保護者またはその世帯から援助を受けていたことがある者で、扶養能力があると推測される者、とされます。この関係にある人は、社会通念上一般的とされている以上の収入等があれば、その分を要保護者に援助することとされます。手紙や電話での連絡による精神的援助も扶養に入ります。福祉事務所の管轄外の地域、例えば他府県にそのような生活扶助義務関係者がいる場合、ケースワーカーが出向いて直接扶養照会を行うこともあります。

 2008年8月1日に総務省が発表した、厚生労働省への勧告「生活保護に関する行政評価・監視―自立支援プログラムを中心として―<行政評価・監視結果に基づく勧告>」に、一部の福祉事務所を取り上げた、扶養調査の監査結果が掲載されていました。結果は、旅費を使っている割に、援助を得られた人数、金額ともにあまりにも少ないというものです。事前に連絡をせず調査に行っていることで、親族と会えずに帰ってきた、という事例が結構ありましたが、金額の少なさから、援助を行うことができる親族が少ない、という見方もできると思われました。


 実際、1999年、京都市山科区で、退院後すぐに生活保護を廃止された30代の青年が衰弱死するという、痛ましい事件が起こりました。青年が入院中に生活保護を受けていたとき、その青年の実家に扶養照会文書が届きましたが、海が汚染され、魚介類が獲れず、家族は自分たちの生活だけで精いっぱいの状況でした。

 また、少し話がそれるかも知れませんが、水島宏明さんの著書『ネットカフェ難民と貧困ニッポン』を読むと、小さいときに親から虐待を受けており、ネットカフェに寝泊りする生活を送っていても自分の親に頼れない、という若い方が多いことが分かります。この方たちが生活保護を受ける時、親がそれなりの生活を営んでいるとしても、扶養を求めることはできません。虐待を受けてきた傷口を広げてしまうからです。

 このように、何らかの理由で家族関係が崩れる、経済的に家族員を支えられない等、家族の状況が変化しており、単純に扶養義務を求めることができなくなっています。そのような中、生活保護を受けられるよう柔軟に対応している事例もありますが、DV被害者であるのに、ただの夫婦喧嘩と捉えて「配偶者に扶養してもらいなさい」と加害者の元に追い返してしまった事例や、「親兄弟がいるだろう」と言って生活保護を受けさせない事例が後を絶ちません。


 扶養義務関係を見直すには、根本的には民法自体の見直しが必要なのかもしれません。しかし、誰もが「健康で文化的な」最低限度の生活を営む権利を憲法で保障されている以上、現代の家族状況の変化に合わせ、生活保護における扶養義務のあり方を考え直さなければならないのではないか、と思います。

金沢福祉専門学校教員 冨家 貴子