人工呼吸器の大学6回生がつづる、これからの生き方。さて、卒業したら何をする!?

11 Sep

  私は全身性の障害者だ。病名は筋ジストロフィーのデュシャンヌ型。今は人工呼吸器をつけ、24時間365日、公私の介護で生活を支えられている。

  中学1年の時に、京都にある国立療養所宇多野病院に入院した。入院といってもどちらかと言えば療養生活のようなもので、土日には実家の兵庫県に外泊することができた。1週間のうち5日は京都で過ごし、残りの2日は兵庫県で過ごしていた。

 病院には、入院している小学生から高校生までが通うことができる鳴滝養護学校が併設されていた。当時は病院に入院しなければ養護学校には通えないシステムであった。現在では、在宅からも難病の子どもであれば通学できる。私はそこで中学高校と6年間を過ごした。高等部卒業後の進路選択には次のようなものがある。最も多いのが在宅に復帰して作業所や授産施設に通うというもの。次に多いのは、障害の程度や家庭や地域の事情で在宅生活が困難なため、卒業後も引き続き入院生活を続けるというもの。しかし、一般企業に就職する例は稀で、進学にいたっては皆無だった。


  私が卒業後の生活についてイメージをしだしたのは、高校1年のときで、大学に行けば様々な地域から来た、異なった考えを持った学生たちと出会うことができると考えたので、大学に進学してみようと考えた。この時点では、宇多野病院から大学に通う生活をイメージしていた。より決定的になったのは、高校2年のときに鳴滝養護の先輩たちと自分たちでプランを立てて出来立てのUSJに旅行をしたこと。一言で言って、数々のバリアに行く手を阻まれたのだ。駅のバリアフリーの問題や、当時のUSJの行き当たりばったりの対応など、初めての旅行は、納得のいかないことばかりで、障害者にとって社会の状況がいかに立ち遅れているかを思い知らされた。そこで、改めて問題点を認識し、大学で障害者としての視点から、どのようにしていけば障害者が社会で快適に生活していけるのかを学びたいと思った。

 そこから、本をめくったり、ノートパソコンを使えるようにセットするといった学習支援をしてくれるボランティアを募り、真剣に受験勉強を始めた。その甲斐あって晴れて2003年立命館大学に入学した。入学を機に大学近隣に家を借りて、母と二人で在宅生活を送りながら通学をしている。宇多野病院のすべての関係者から「命が危ない」と止められた大学生活であったが、体力の許す範囲で授業を取り、当初の目標である6回生を迎え、予定通り行けば、この後期セメスターで無事卒業を迎えることができる。


  さて、そうなると、大学卒業後が問題となる。
  はたして自分は何がしたいのか。どう生きていくのか。動き出した次の生活についてレポートしたい。キーワードは「基準該当事業所」。

立命館大学6回生 佐藤謙