29 May

 もう忘れてしまいましたか?
 1995年1月17日午前5時46分。兵庫県南部をM7.3の直下型地震が襲いました。死者・行方不明者6,437名、負傷者43,792名、全半壊した家屋合計約25万棟、約46万世帯が被災しました。神戸の空を覆いつくした真っ黒な煙。家族を失い、住む家を失い、仕事を失い、重荷を背負わざるをえなかった人々。

 覚えていますか?
 未曾有の大災害の直後から動き始めました。名も無き多くの若者たちが。電車を乗り継ぎ、がれきを踏み越え、続々と、神戸へ。私たちは、思いました。この国には、人々にまだまだ「熱いもの」が流れていたのだと。

 社会保障ってなんでしょう?
 私たちは、働き、収入を得、その中から税金を支払い、個人の力ではいかんともしがたいことの実現を政府に付託しています。不運に見舞われた時、悲嘆にくれているとき、明日の希望が見出せないでいるとき、決して、見捨てない。それを形にしたもの。私たちの付託を受け、政府が責任を持ち、必ずやりとげなければならないこと。それが社会保障なのだと、私たちは、思いたい。あのとき、神戸へ続々と集まっていった人々の、被災地に届けと物資やお金を集めた人々の、テレビの前で歯噛みした人々の「思い」の形なのだと。

 しかしその思いとは裏腹に、いつの間にかこの国では、社会保障が、いっそう生活を苦しくするようになってしまいました。
 高すぎて払えない国民健康保険、わずかな年金からさえ天引きされる介護保険、払えなければ保険を受けられず、命を削って保険料を払っても、自己負担という高いハードル。懸命に働いても生活保護水準以下にしかならない賃金。そのために生活保護を申請しても、投げつけられる言葉は、「働け」。
「見捨てる」仕組みとなった制度。

 決して見捨てない社会に
 「勝ち組」とか「負け組み」ということが言われるようになったのは、ここ10年ほどのことでしょうか。弱肉強食を旨とする資本主義の仕組みの中で、競争に敗れたもの、効率の悪いものは、いかにそれが人々の生活に欠かせないものであったとしても、退場を迫られ、見捨てられてきました。たとえば零細な農業経営。それが今、一人一人の生きている人間にまであてはめられようとしています。
その流れを堰き止め、決して見捨てることのない社会をもう一度つくりあげていくために。その土台であり、柱となるのが社会保障基本法なのです。

 あなたの力を貸してください。